2012年12月31日

タナカタケシさん「新春作品展」のお知らせ。

気がついたら、
もう今年も「最後の1日」なのでした。

半島の情報を。

お正月恒例のタナカタケシさんの自宅アトリエで開催される
新春作品展(ブログ内リンク)が、
来年(って言っても、明後日から ですけどね)も開催されます。

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日時、2014年 1月2日〜4日  11時〜17時
場所、西海市雪浦の、タナカタケシさんご自宅。

雪浦運動公園の駐車場に車を停めて、
(長崎市内から202号線を走り、雪浦への坂道を下ったら
 すぐ左側。
 雪浦川にかかる雪浦橋へ出てしまったら、通り過ぎてます。)
看板に従って2〜3分歩いてください。

新年を、ゆったりした時間ではじめて見ませんか?
是非。

今年は私にとって、
大きなターニングポイントになる一年でした。
大げさに言うと、これも人生なんだなぁ と。
孫も生まれたし(笑)
健康ですごすことができた事に感謝しつつ、
皆様の幸せを祈りつつ、
今年の締めくくりです。

こんなとほほなブログにおつきあいくださり
ありがとうございました。
来年もごそごそ続けていくつもりでおりますので
よろしくお願いいたします。

皆様、良いお年を!


なんてアップして雨戸を開けると、
なんと、雪。

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そっか、2012年の大晦日 雪かぁ。







posted by たみ at 07:01| 長崎 ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | 半島情報。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月14日

今日も。


今日も律儀に朝が来る。

今日の1日を祈り そして 思い切り深呼吸をする。

おはよ。

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posted by たみ at 07:52| 長崎 | Comment(0) | TrackBack(0) | 半島日記 季節の便り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月13日

霜の降る朝でした。


ここ2〜3年で1番じゃないかってくらいのりっぱな霜、
朝日を浴びて、それはそれは綺麗でした。


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そして今夜
寒い中ふたご座流星群を見ようと。

なんだか曇ってきて、早々に撤収。
結局大山鳴動流星一個 的な・・・。

も少し粘れば見ることができた模様だけれど、
ま、しようがない。
願い事は一応述べたし(笑)。

posted by たみ at 23:18| 長崎 | Comment(0) | TrackBack(0) | 半島日記 季節の便り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

彼杵のひさご塚

その 思わぬものとは

(あ、唐突に始まりましたがスミマセン
 前の記事(勿論(笑)ブログ内リンクです) の続きです。)

これ。
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このうしろすがた(なのです)はナニか? というと、

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(それにしても凄い看板です。
 出だしを大きくしすぎて書ききれなくなってしまった
 初めて書いた習字の名前の所みたい って言うか
 初めて書いた年賀状の住所の欄みたい って言うか・・・。
 
 書き直すっていう選択肢は、なかったのか知らん(ゴメンナサイ)
 ・・・さておき )

長崎県最大級前方後円墳
ひさご塚(ひょうたん塚)なのでした。

「前方後円墳」
なんて言ったらいいのか、
「おお!これが!!」と
なかなか興奮させられる(歴史とロマンの)響き です。

全貌。
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国道のすぐ脇に、こんなものがあったなんて、
知りませんでした。

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傍らに石室(石棺?)のレプリカ。
えっと、
そう思ったとしても、「かまどみたい」って言わないようにしよう
同行者と暗黙の(ゴメンナサイ)。

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長崎県指定史跡
彼杵の古墳(ひさご塚)
昭和25年4月10日 指定
指定理由
長崎県の代表的古墳で、規模も県内最大級の前方後円墳である。

全長       58.8m
後円部直径    37.7m
前方部最大幅   18.5m
くびれ部幅    11.0m
長軸の方向    N-57度-W



この古墳は、海岸に形成された砂礫丘の、標高1.5m程の所に築造されており、
公園部は二段に築成されている。
 県内最大級の前方後円墳で、五本の指に入る大きさである。
五世紀の前半から中ごろにかけて大村湾周辺地域を統治した首長の墓と考えられる。

のだそうです。

それにしても
先の看板にそぐわない(重ね重ねゴメンナサイ)りっぱな歴史民族資料館
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この東彼杵町歴史民族資料館、
今なら
「井手寿謙展-野岳遺跡と日本旧石器研究の黎明」開催を記念して、
入場無料 だそうです。
(えっと、2012年12月20日まで だったかな?
 詳細は直接お尋ね下さいますように。
 東彼杵町歴史民族資料館公式HP

こちらは、同じ敷地内にある、
「明治の民家」 
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前方後円墳と言えば、やっぱりなんと言っても
全長91m、長崎県で一番大きいと言われる・・・・・続く。




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posted by たみ at 01:45| 長崎 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 半島人のお出かけ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月10日

二十六聖人乗船場跡

二十六聖人乗船場跡

二十六聖人上陸地 とか、そこで行われるミサとか(何れもブログ内リンク)を見て、
是非「乗船地」も訪れてみたい、と思っていました。

で、先日ようやっと。

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彼杵川の河口右岸に建つ 碑。

碑には、

日本二十六聖人
乗船場跡

聖ペトロ・バウチスタの涙
長崎への道 東彼杵町 と刻まれており、

碑に埋め込まれた2枚のレリーフ

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には、それぞれ

ペトロ・バウチスタの涙

キリストを伝えたがため死地に向かう、それは限りない喜びである。
しかし、この仕事を継ぐべき同僚までも死んでいく。
すべてを捧げた仕事が、崩壊していくかにおもわれ、止めどない涙が落ちた。
(西彼 俵坂峠にて)

彼杵浦から船出

極寒の冬の夕暮れ、後ろ手に縛られた殉教者達が彼杵の浜辺に降りると、
底に三艘の船がつないであった。空には残月が光りはじめ、船は、
単調な艪の音を響かせながら、静かに水面を分けていった。
(1597年2月4日最後の夜)

とあり、

両方共に
長谷川路可 作「長崎への道」・長崎日本二十六聖人記念館壁画より 

と書かれています。


案内板。

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案内板の解説を、そのまま書かせていただきます。


日本二十六聖人乗船場跡

日本26聖人、それは、西暦1597年(慶長2年)
2月、長崎の西坂でキリシタン宣教師、信徒であるという
理由で処刑された、日本最初の殉教者である。
 スペイン人のフランシスコ会司祭ペトロ・バウチスタは
マニラで布教ののち、フィリピン総督の使節として159
3年来日、肥前名護屋の朝鮮陣本営で豊臣秀吉と会見する
など日比通商条約締結に努力したが、サン・フェリペ号入
港事件を契機とする、豊臣秀吉のキリスト教禁教令の強化
により、京都、大阪のキリシタンとともに捕らえられた。
豊臣秀吉は、殉教者達を厳しく罰することで人々へのみせ
しめにしようと陸路を徒歩で、或は馬で、1日約7〜8里
とゆっくり歩かせた。
1月9日、境を立った24人のキリスト教信者達は、堺、
姫路、岡山、広島を通り、1月31日博多に到着。翌日、肥
前名護屋近くの村、山本で捕らわれ人は26人となり長崎へ
と進んだ。やがて、苦しい登りの道を越えて大村領の俵坂
峠にたどり着くと、足もとに湖のような静かな大村湾の素
晴らしい景色が広がっていた。
そこで休息したペトロ・バウチスタは、岩の上に腰をおろ
して黙想した。今・・・死地へ向かって進んでいる。しかし
自分が全身全霊を傾けた布教ははじめたばかりなのに、それ
を継ぐべき同僚までも共に死んでいく。ペトロ・バウチス
タがすべてを捧げた仕事は、がらがらと崩壊していくかに
思われ、とめどもなく涙が落ちた。
昼を少し過ぎたころ、殉教者達は彼杵へはいった。
やがて、殉教者のうちフランシスコ会士以外は両手を縛ら
れ、彼杵の海岸に降りると、そこには三艘の船が繋いであ
った。それぞれの船に乗船させられた殉教者達は、水路時
津へと向かった。空には、残月が光り始め、岸のあちこち
に漁村の灯火がまたたき、舟は、単調な櫓の音を響かせな
がら、静かに水面を分けて言った。翌2月5日、26人の
殉教者達は、長崎西坂の地で処刑された。
 1862年6月7日、荘厳な祭典のうちに教皇ピオ九世
は、西坂の26人の殉教者を聖者の列に入れた。

この日本二十六聖人乗船場跡記念碑は、この殉教者の残
した足跡を記念するため。1986年、多くの人々の協力
で建設されたものです。

          東彼杵町

(改行、漢字 は、案内板の型式に従いました。
 誤字脱字等につきましては、ご容赦を)

「西坂」については、こちら をご参照ください(ブログ内リンク)


そして、碑のかたわらに

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いしぶみ が。


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今は 県立公園・彼杵海水浴場 となっているらしいこのあたりは、
しかし
たぶん当時もこのような佇まいであったろう と強く感じられる場所で、
時津の「上陸地」に立ったときとはまた違う感慨を覚えます。

興味をお持ちの方は、是非。

場所は、国道205号線沿いの、道の駅 彼杵の荘のすぐ西側にある
彼杵川
この川の河口右岸のとっぺさきです。

で、この道の駅 彼杵の荘 で思わぬものを・・・続く。


posted by たみ at 00:03| 長崎 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 半島人のお出かけ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする